私たちは 防犯設計 を提案します

私たちは、防犯に対するノウハウを蓄積し、そして提供します

  


         


 防犯という意識

私たちも、以前はごく一般的な防犯意識しか持ち合わせていませんでした。犯罪はいつでも起こりえると頭では解っているつもりでも、実は、私たちが設計した物件が被害に遭うとは思っていなかったようです。しかし事件は起きました。ところが、この私たちが設計した建築物は、意図して設計したわけではないのですが、犯罪への対抗力、防犯性能を備えていたのです。この防犯性能が入居者を守ってくれました。

物件は女子音大生専用マンション。犯人は新聞やテレビでも大きく取り上げられた、連続強盗犯だったようです。こういう犯罪のプロともいえる連中は、私たちの常識からは考えられないような方法で侵入してきます。しかし、音大生のために設計された防音性能が、同時に防犯性能を担っていました。

そこから私たちは色々なことを学び、そしてノウハウを蓄積しながら、その後の設計に盛り込むことにしました。

そしてこれからは、もっと積極的に私たちは防犯という意識を施主に持っていただくことを提案し、防犯性能の高い建築物を提供していきます。
新築に限らず、既存の建物でも防犯性能を高めることが出来ます。

                  cea@muse.ocn.ne.jp


 犯罪を受け付けない建物 

かつての日本は安全でした。現在の日本と何処が違うのでしょう。色々な事柄が考えられます。その中で、犯罪の抑止について言えばこんなことがあります。かつての日本は・・・、

子供の悪戯を近所の親父さんが叱る、といったように子供の成長を隣近所が皆で見守る。出かけるときはお隣さんに一声かける。一声かけなくたって、気がつけば向こうから「お出かけですか?」などと声をかけてくる。これで隣近所が留守宅の状況に気を使ってくれる。お隣さんとしょうゆや味噌の貸し借りをしたり、買い物は近所の専門店に行けば、お店の人から買い物客までいつもの知っている顔。普段と違う様子や見慣れない顔には自然に気が付きます。

このように、最小単位のコミュニティーである「家族」の集合体として、「近隣」というコミュニティーが機能しているときは犯罪も起き難い。「善い」コミュニティーの形成は防犯機能を備えていて、それが犯罪の抑止力になります。つまり、町全体が防犯性能を有することになるのです。以前は、夏には蚊帳を張って窓を開け放して寝たものです。

しかし人の移動が激しく、常態化し、しかもその移動範囲が地球規模にまでおよぶ現在では、昔のようなコミュニティーを望むことは非常に難しくなってきました。

望む、望まないに関わらず、今後は住宅をはじめ、建築物に対して防犯の機能がますます要求されます。

防犯という機能に対しては、大手警備会社が提供するセキュリティーシステムなどの機械警備システムを連想することが多いと思います。しかし私たちは、建築物自身に犯罪への抑止力を持たせることを提案します。建築物が構造的に防犯機能を備えることが私たちの提案です。犯罪を受け付けない力をもつこと。そして必要に応じて補足する、また強化する機能としてセキュリティーシステムなどの機械警備システムを導入することを考えてみてはどうでしょうか。

私たちは犯罪を受け付けない建築物を計画し、提供します。

                    cea@muse.ocn.ne.jp


  防犯の機能とは・・・

侵入者を完全にシャットアウトすることが出来る、要塞のような建築物は計画が可能でしょうか。
これについては、犯罪・防犯に関する専門家の方々が言っていますとおり、非常に難しいことです。一般的に言えば、資金に限界がある以上、不可能と言わざるをえません。そこで私たちが行なうべき努力は先にも述べましたとおり、
「防犯という意識を常にもつこと。」
「侵入を思い止まらせること。犯罪に対する抑止力を持たせること。」

防犯の意識が無ければ、どのような方法をとっても決して犯罪は防げません。防犯を意識した行動を習慣にすることが重要です。これをソフトの面としますと、ハード面としては、侵入を試みようとする気持ちを起こさせない建物を計画することです。「自分の行動が他人に見られてしまいそうだ」、「逃走し難そうだ」、「侵入する手間が余計にかかる」など狙われにくくすることが重要です。

侵入に対する抑止力を持つ建物は、決して外部環境をシャットアウトするものでは有りません。近隣の「眼」によっても守っていただこうとするものです。

近隣との「善い」コミュニティーの形成が犯罪の抑止に最も効果があると言われています。社会全体で、以前のように「個人と社会」の間にコミュニケーションの有る環境を取り戻す努力をしつつ、現在私たちが置かれた状況を正しく認識し、
「今」「そこに」有る「危険」に対応する必要があります。